第1回 川和から鴨居へ ~鶴見川の自然を満喫~

開催日111日(火)930分(川和町駅)~1230分(鴨池人道橋)   

古くは鎌倉時代から、近代は八王子方面から神奈川湊に物資を運ぶ道が鶴見川沿いにありました青葉区、都筑区と分区された際に、鶴見川は都筑区と緑区との境界となりました。

川和町駅出発(9:30)→ ②川和遊水地管理棟(見学、トイレ)(10時~11時)→ ③桶の石碑→④佐江戸おちあい公園(トイレ)→⑤鴨居人道橋、桜並木(1215)→⑥鴨居駅 解散 (1230予定)

鶴見川説明 

鶴見川は、町田市北部の「源流の泉」から鶴見川河口まで42.5kmの一級河川です。この流域235平方kmは6都県市に跨がり約200万人が居住しています。鶴見川各地には、環境保全活動をする多くの団体があり、川をきれいに、自然を楽しんでいます。川と堤防の間の「高水敷」には水辺の広場、おぎやヨシなどの植物を繁殖させ自然の回帰を狙う活動、鳥や魚の生き物たちも増え子どもも調査活動を楽しんでいます。階段もある「親水護岸」、距離を示す「バクの道しるべ」、鴨居駅側河川敷では「こども風のまつり」や「どんど焼き」が行われてにぎやかです。

急激な市街化で昭和時代には多くの氾濫がありました。このため、上流では緑地・水田による保水、市街地では水をためる調整池約5000か所、日産スタジアム周辺の平成15年完成の鶴見川多目的遊水地84ha、雨水貯留菅、河口付近の河川改修を行い、いわゆる流域管理の徹底で1970年代から洪水はなくなりました。これらの活動や説明は小机近くの「鶴見川流域センター」をお勧めします。

3.緑区から見た鶴見川流域の自然

   雨水が川に集まる大地の広がりを「流域」と呼びます。

 鶴見川はバクの形の流域を持つ「バクの川」と呼ばれています。今回はバクのお腹辺りから左足に向かって歩きます。

 川には、コイ、フナ、ウナギ、ナマズ、アユ、丸太ウグイ、オオヨシキリなどが生息し、それを目当てにアオサギやカワウ、カワセミも登場します。秋には10種近くの鴨たちが冬を越すために渡ってきます。河川敷にも、木の実や草の種などを求めて、ジョウビタキ、カワラヒワ、セキレイ、コサギ、シジュウカラ、スズメ、カワバト等が集まります。

 また、ハマダイコン、セイヨウカラシナ、カントウタンポポ、アブラナ、ショカッサイ等の花々が楽しませてくれます。以前は、ガマノホも自生していましたが、ここ数年見当たりません。

 4.明治初期の地図(左)と現在の地図(右)

 迅速測図 1880年(明治13年)陸軍卿・山縣有朋の命により,作成された地図 1886年(明治19年)に完成

      下図

 5.鶴見川の氾濫   昭和41年6月 台風4号による堤防決壊(神奈川新聞)青砥町付近とあるが、正確な位置は不明 

   下右図

6.川和遊水地管理棟(見学)  会議室で説明の後、遊水地の内部を見学

 7.佐江戸用水樋(石碑) 碑文

佐江戸地内水田ノ灌漑用水ハ江戸中期ヨリ青砥ト協力小山地内 恩田川ニ構堰青砥地内経由木造掛樋ヲ以て谷本川を通架シ水源皆無ノ新田地帯等をウルヲシ爾来米作ノ盛ンナルコト近隣ニ聞エタリ                                    

降ツテ大正十二年関東大震災ニテ被害ヲ蒙リタルタメ コンクリ—ト樋ニ改築ヲ見ル 然ルニ今般谷本川改修ニ伴ノ吾人ノ祖先カ苦心惨憺維持管理シ来ル掛樋ノ撤去会儀ナキニ至ル依ツテ茲ニ九百四拾余萬円ノ巨費ヲ投ジ近代装備ノ粋ヲ蒐メタル機械揚水工事ノ完成ヲ見ルニ方リ沿革ノ一端ヲ記シテ後世ニ傳フ                              

      昭和四十一年九月

8.佐江戸おちあい公園 (都筑水再生センター:水処理槽の上部覆う屋根に作られた公園)

昭和52年5月に横浜市6番目の水再生センターとして、また最初の完全分流式水再生センターとして運転を開始。都筑区の佐江戸・川和地区、市ヶ尾・青葉地区、緑区の中山・長津田地区、二俣川・東希望が丘地区などを処理区域とし,約60万人分の汚水を処理。佐江戸町を流れる上流部950mと池辺町から川向町を流れる下流部2330m江川せせらぎに送水している源流となります。

 9.鴨池人道橋 (鴨居駅と鶴見川対岸の工業地帯を結ぶ人道橋) 下左図

その昔,丸太橋が今の橋の近くに架かっていましたが、大水が出るたびに流されました。初代の人道橋は昭和43年(1968)月に、鴨居駅より工業地帯である鶴見川左岸方面に向かう社員を抱える企業(日本電気、松下通信工業)が資金を拠出しあって架けられました。幅3メートルの木造の橋でした。その後、通行人の増加や老朽化により平成3年(1991)3月、横浜市により架替え竣工し、新しくなりました。   (緑区制3周年記念誌