緑区消防訓練所 

  災害防止や救急車など日常生活に大切な消防署の経緯は、昭和14年までの「消防組」から「警防団」となり戦後「消防団」へと改名、更に昭和44年港北区から緑区が分区して「綠消防署」が開設され,当初の出張所は長津田、十日市場、川和、藤が丘の4ヶ所でした。その後の緑区は平成6年に分区して緑区、青葉区、都筑区となって、中山に消防局、長津田、十日市場、鴨居、白山に出張所が設置され現在に至っています。この訓練所は、昭和46年から平成元年までの「十日市場土地区画整備事業」により8,000haの野球が出来る多目的グラウンドとして企画され、平日は特に緑区消防署員の火災救難訓練所として使用されています。毎年正月7日には緑区全消防署が参加して、華やかな「出初め式でぞめしき」が開催されます。土日祝日には、少年野球などに一般開放もされています。

八十やそはし

鶴見川の支流・恩田川周辺は、昭和40年から平成元年までの農地、農道、河川の大規模改修工事で

昔の様子が大きく変わりました。その改修工事で新設されたこの十日市場と西八朔を繋ぐ「八十橋」

も、改修前は曲がりくねった鎌倉道がここより下流を通り左の「十日市場村史」より引用したに明治

初期の地図では木造の「かちはし」(歩行をかちと言います)があり、近世まで越場(こしっぱ)と

言われ丸太を繋いだ渡し場がその役割を果たしていました。また、「かち橋」を通っていた古道は梅

田谷戸→十日市場→西八朔(杉山神社の前を通り)→川和から荏田の鎌倉街道「中の道」に繋がる鎌

 倉道でした。恩田川は曲りくねった水害に弱い河川でしたが昭和40年から行われた農地改革や昭和5

17号台風被災から建設省による一級河川・鶴見川全域の護岸改修工事と併行して,蛇行部分がゆるや

かな曲線に改修され恩田川の全長は141キロが131キロになりました。

杉山神社

 鶴見川や帷子かたびら川周辺には一団の杉山神社が鎮座しています。茅ヶ崎の杉山神社社伝には、7世紀頃房総から船で渡来した忌部氏一族が定住してその氏神として杉山神社を祀り、江戸時代には73社が創設され特に鶴見川水系には58社がありましたが、現在は合祀などで44社になっています。

このなかで、西八朔の杉山神社が歴史的に注目されるのは、承和5年(838)「続日本後記」

 国都築郡霊験あらたかな神様」と記された杉山神社は73社の内どこに祀られているのが本社か、と江戸時代から論議が盛んとなり、地名の八朔が古語で「さく」と和名抄(931938)に記載されている有名地であることや神域が広いことを主な理由として武蔵国一宮の大国魂神社が、延喜5年(927)からの「武蔵国式内社六の宮」として西八朔の杉山社こそが本社だと定め、両社は連携した祭事が継承されていることに因りますが、この本社説は現代も諸説が有り確定しているわけではありません。

極楽寺

  真言宗、豊山派ぶざんは(総本山は奈良の長谷寺で、その山号を豊山と言います)、寺紋は丸に徳川ミツ葵。

中興開山元海和尚・天文21533)年寂。ご本尊大日如来立像で室町時代の創建といわれます。

江戸時代は境内を2分して移設された後の杉山神社の別当として管理にあたっていました。

   現在の本堂は文久年間(1861~1864)に改築,鐘楼堂は明和7年(1770)建立。また、長屋門は

元禄元年(1688)建立(昭和31年一部改築)で、綠区内に現存する3ヶ所の長屋門の内(鴨居の岩岡家と新治の奥津邸何れも江戸時代後期建造)最も古く、長屋門は由緒ある家でないと許可されませんでした。

西光寺

 江戸時代後期に幕府が編さんした「新編武蔵風土記稿」に「村の東方にあり、新義真言宗(空海・弘法大師を始祖として、高野山で新たな教義を唱えたことから新義といいます)王禅寺末、光明山と号

 す 開山朝秀天正5年(1578)寂 本尊不動立像長3尺・・」とあり、現在所在地は横浜市青葉区さつきが丘(西八朔町から分かれて新たに誕生した町)になっていますが西光寺の詳細な歴史は不詳で,約200年住職が無く王禅寺の管理下に置かれていましたが、平成9年に極楽寺に管理委譲が持ち込まれ、ご子息が兼務されることになりました。

火祭りの発祥については、緑区西八朔の極楽寺から北西約500メートルにある西光寺山は、そこが西光寺の誕生地であったのかも不詳の荒れ山でしたが、西光寺に縁のある聖地として、ここに年1回ご本尊の不動明王を巡行して祀り、檀家のご繁栄、疫病平癒と厄除け祈願等にふさわしいものとして密教伝来の山伏による火祭り法要が企画され,平成14年11月30日から当月の最終日曜日に第一回「西光寺山火祭り」が始まるにいたりました。山伏巡行行列は左図のコースを辿ります。

火祭り行事内

 11月の最終日曜日に開催(今年で20回目)

 午前11時30分、ご本尊の不動明王立像を先頭に稚児行列、ボーイスカウト、檀家御詠歌

衆、山伏等の巡行行列が西光寺を出発。途中杉山神社と極楽寺に参拝。休憩後午後12時30分

極楽寺山門を出発、山伏の法螺貝の音に連れられて西光寺山に向い、午後1時より火祭りが始ま

ります。 山伏は出羽三山の羽黒山や吉野・金峰山等で修行した修験者がさいとう護摩ごまの作法(注)による問答や火祭りの荒行を披瀝します。紫燈護摩とは、屋外に祭壇を築き、火をたいて供物を神仏に捧げ天に届ける儀式のことで、主にお祝いの行事として成田山新勝寺など全国の密教系の寺院で多く見られます。

儀式次第

 ィ、行者入場 導師以下山伏が行列し法螺貝を鳴らして入場(祭壇敷設等の準備)

     ,  山伏問答

ハ,ほうの儀 以下の3法で、斎場の東西南北を清め、汚れを祓う。

二、法弓の儀

ホ、法剣の儀

へ、紫燈護摩供養 護摩壇に点火して読経・護摩木の投入

ト、火渡り  灰を均して行者を先頭に参列者も素足で歩き無病息災等を祈願する