①すずかけ台駅
昭和47年(1972)4月1日開業。
駅名は「南つくし野」に内定していたが、東工大の谷口名誉教授の提案で、学問の場にふさわしい樹木・プラタナス(すずかけ)にちなんで「すずかけ台」と命名。(※古代ギリシャの哲学者・プラトンが創設した学園、アカデメィアのプラタナスの並木道の木陰で講義を行ったことに由来)
東工大の長津田キャンパスは、平成13年(2001)にすずかけ台キャンパスに改称。
令和3年(2021)のすずかけ台駅の一日乗降客数8,996人。(長津田駅:101,864人、南町田グランベリーパーク:37,963人)
②東工大(国立大学法人東京工業大学)
創立は、明治14年(1881)大学設置は、昭和4年(1929) 本部所在地、東京都目黒区大岡山2丁目12-1
キャンパスは、大岡山・田町・すずかけ台。学生数、10,357人
工業立国を模索する明治政府が、専門技術の素養を備えた優れた職工長・工業教員の養育を目的に設立された、工業教育機関である東京職工学校を母体としています。
平成12年(2000)ノーベル化学賞を受賞した白川英樹工学博士は卒業生。平成28年(2016)ノーベル生理学・医学賞を受賞した大隈良典も本学の教授。他に教授として、文芸評論家江藤淳や社会学者橋爪大三郎。池上彰もタレント講師として教鞭をとっています。
・旧大山街道
大山街道(矢倉沢往還)は、江戸の赤坂御門(東京・赤坂)を起点として青山、渋谷、三軒茶屋より瀬田を経て、多摩川を二子で渡り、多摩丘陵、相模野の中央部を横切り、足柄峠手前の矢倉沢関所に至る脇街道です。律令時代は、駿河国と相模国を結ぶ東海道の本道にあたり「足柄道」と呼ばれていました。 江戸中期以後、江戸庶民の大山参りで多くの人に使われてきた街道で、矢倉沢往還は、大山街道・大山道と呼ばれるようになりました。
現在の国道246号に沿っています。
大山は、昔から、雨を降らせる雨乞いの神様の山として信仰され、現在も大山参りをする人たちでにぎわっています。
③森村学園
明治43年(1910)4月25日、南高輪の森村市左衛門の邸宅内の一角に幼稚園「私立南高輪幼稚園」を開校。
同年9月28日、幼稚園に間借りする形で「私立南高輪尋常小学校」も開校しました。昭和53年(1978)現在地に移転開始。
建学の精神「独立自営」校訓「正直・親切・勤勉」
森村学園出身の有名人は、一青窈(歌手)高橋祐也(俳優)福原美和(元フィギュアスケート選手)佐々木明子・石井希和・大橋マキ(アナウンサー)イサムノグチ
創立者の森村市左衛門は、幕末から明治期に活躍した実業家。実業界での経験から、人材育成の重要性を悟り、晩年は教育に情熱を注いだ。森村グループは、世界最大のセラミック企業グループ。陶磁器売上高上位5社のうち、1位・TOTO、3位・日本特殊陶業、4位・日本ガイシ、5位・ノリタケカンパニーリミテドが森村グループ。2位のINAXもかつては森村グループに属していました。
④長津田宿市民の森
面積/約3.0ha・開園/令和2年(2020)、横浜市民の森では42番目。
横浜みどり税を財源の一部に活用した「横浜みどりアップ計画」に基づき、平成11年(2011)から土地を取得し、散策や自然観察のほか市民が憩いの場として利用できるよう園路やベンチを整備しました。 横浜市北西部の丘陵地帯に位置し、北側には恩田川が流れています。この森にはクヌギやコナラを主とした樹林が残り、コゲラやエナガ、シジュウカラなどの様々な鳥が生息しています。公園の南側にある広場では、テーブル付きのベンチでゆっくり過ごすこともできます。
長津田宿市民の森への土の道は「鎌倉古道」と言われています。(※諸説あります)
⑤御野立落雁(おのだちらくがん・長津田十景)
大正10年(1921)に帝都が軍用機(複葉機)から爆弾を落とされたと想定下、陸軍特別大演習の攻防が多摩川を挟む広域で4
日間行われ、皇太子殿下(後の昭和天皇)が田奈地区で統監された場所です。高さ約7mの「皇太子殿下御野立之跡」碑付近か
らは眼下に恩田川周辺を一望できます。
※落雁は雁が空から舞い降りる様子。「長津田十景」の説明板にも記載されている殿下お手植えの松は、砲弾型の記念碑と共に
石柱・鎖で囲まれていましたが、枯れて切株が残っています。
⑥大石神社(大石観桜・おおいしかんおう・長津田十景)
王子神社とともに長津田の鎮守で、元禄(1688~1704)または宝暦(1751~1764)の頃に長津田領主岡野家が修復しました。
ご神体は大きな石といわれています。大きな神石の由来には諸説あり、・平安朝の歌人在原業平(ありわらなりひら)朝臣が愛人と共に東国に下る途中、武相の国境近くの山中にさしかかったとき、追っ手に四方から火をかけられ、付近一帯は焼野原と化しました。しかし、二人は逃げた様子もなく発見されず、ただ大きな石が一つだけ残った説。
・武相国境(瀬谷と長津田)にあって、所有を争った石が長津田のものとなったため下長津田まで持ち帰ろうとしたところ、大石山の下で動かなくなり、山頂に祀った説。
大石神社前の解説板の横に植物学者として高名な牧野富太郎が命名した業平竹があります。社殿前左右に神木(もみの木)がありましたが向かって左側は台風で倒れてしまいました。倒れた切り株の年輪を調べたところ、樹齢約170年とわかりました。
境内には市指定の名木(もみ・しらかし)とともに桜があり、春には美しく花開きます。
狛犬は日米和親条約が結ばれた嘉永6年(1854)に奉献。
表参道女坂の中ほどに横浜市地域史跡の「上宿常夜燈」があります。天保14年(1844)に秋葉山講中が建立。灯り窓の部分にカエデの葉の切り込み。常夜燈は菜種油の灯火(ともしび)により道を照らし、宿場の安全と暗い夜道を歩く旅人のための道標(みちしるべ)となっていました。 南前面の旧大山街道沿いにありましたが、道路拡張により平成元年(1989)
⑦長坂夜雨(ながさかやう・長津田十景)
大山街道の一部で、長津田小学校の南斜面の一部は土の道のままで、昔の矢倉沢往還の雰囲気を今も僅かなりとも伝える場所も一部残っていて、蓑笠を付けた旅人が雨の中を歩く様子を連想させます。